2022.04.03 12:30東京ごっこ以前の風景『平成函館忘れない』50・51ページの見開き、平成17年6月の写真である。今からすれば、気恥ずかしくなるほど派手な店構えだが、かつて日本の観光地の土産物店は、概してこんなふうではなかったろうか。筆者の勝手な解釈だが、たいていの観光客は、地方都市に都会的なものを求めていなかったし土地の観光業者もそれをよく心得ていた、ような気がするのだ。スターバックスコーヒーの日本上陸は、この翌年の平成18年だが、その後もしばらくは、わが町にスタバがあるかどうかなど誰も気にかけない時代が続いていたはずだ。旅に出てまで、わざわざコンビニに寄らなくても…キャンプに行って、テレビなんか観てどうする…まだまだこんな感覚が残っていた。しかし、あるときからその感覚が崩れ始めた。非日常...
2022.04.01 00:09心残りを回収に令和4年春の新刊『平成函館忘れない』。1つ心残りだったのは、「郷愁のベイエリア」と題した見開き。ベイエリアの西波止場裏から、東浜桟橋・緑の島方面を撮った写真を大きく掲載しているページである。
2022.03.26 21:10令和で途切れた「ぎおん小路」、袋小路久しぶりの祇園小路、何ともう、すぐ先が、広い駐車場にふさがれている。確か市電通りまで、小路は続いていたはずだが。これでは、先は見通せても袋小路だ。
2022.03.25 03:56写真も記憶があってこそ星野さんの写真には、イカ釣り船の漁り火を撮ったものもたくさんある。「遊覧船から撮れたのですよ」当たり前のように、かつ懐かしそうに、そうおっしゃる。時代を感じる話のようだが、今もベイエリアから「観光遊覧船ブルームーン」というのが出ていて、北は七重浜沖から南は旧寒川集落沖までぐるっと回るナイトクルーズもあるようだから、「遊覧船から漁り火が」というのは、近年のイカ漁不振のおかげで、昔話に聞こえるのかもしれない。さて下は、私が平成21(2009)年6月に撮った写真。
2022.03.23 06:38街角の娯楽の残り香昭和の時代、パチンコというのは、ほんのささやかな、日々の仕事帰りに、誰も気軽に楽しめるような国民的娯楽で、パチンコ店にしても、「パチンコホール」と呼ぶあたりがふさわしい小ぶりな店舗が多かったように思う。パチンコはいわば「街角の娯楽」だった。それがいつの間にか、パチンコ店は広い駐車場を備えた大規模になり、立地も郊外のロードサイドが主流となっていったようだ。
2022.03.23 04:41渡島大野駅から新函館北斗駅へ函館市内から遠くて有名な北海道新幹線・新函館北斗駅。周辺一帯には、見通しの良い広大な平野が続きます。駅そのものの歴史は古く、明治35(1902)年に北海道鉄道本郷駅として誕生。その後、北海道鉄道の国有化、路線再編などを経て昭和17(1942)年に函館本線の渡島大野駅へと改称、新幹線の開業まで、その駅名で親しまれてきました。もう渡島大野駅時代の面影は跡形もありませんが、蒸気機関車の時代は転車台(機関車の向きを換える装置でターンテーブルとも呼ばれた)も備えた立派な駅でした。星野勲さんの写真で、移り変わりをご覧ください。●昭和31(1956)年 『大野村から大野町へ』より
2022.03.22 07:35アジサイ屋敷当たり前のものなのに、仰天させられる。それがまた痛快で、私には函館の魅力となった。その最たるものがアジサイだった。関西人の私にとって、どう考えてもアジサイは梅雨の花。(花に見えるのは萼であり、正しくは花ではないそうだが)なのに函館では夏が過ぎ、ものによっては秋が終わろうとするころまでアジサイが咲き誇る。北国とはいえ、何という季節のズレだろう。そして剪定しないのがこちらの流儀なのだろうか、ドライフラワー状態で、多くは姿をとどめたまま冬を越し次の季節に新しい花と同居する。10年もこちらに暮らしていると、さすがにもう季節のズレには慣れたけれど、いまだ鮮烈に覚えているのは、観光銀座の港ヶ丘通りのアジサイ屋敷だ。(下の写真は2008年9月の末)
2022.03.21 01:16市電と都電、市電に都電函館市電と東京都電は縁がある。線路の幅が同じなのだ。日本の鉄道の線路幅は圧倒的大多数が1067ミリ。また新幹線の線路幅は1435ミリという世界的に「標準軌」と言われる寸法だ。函館市電と東京都電のほか、わずかの路線が1372ミリ。この線路幅は馬車鉄道時代の標準であり、函館市電も東京都電も、その前身は馬車鉄道だった。昭和9年、函館に世界3大大火に数えられる大火災が発生する。市電(正確には当時は私鉄の路面電車)も車両が丸焼けで運行不能に陥るが、線路幅が同じの東京都電から、車両の提供を受けるのだ。時は流れ平成の時代。確か今から12年前の平成22年まで、東京都電のお下がり車両が函館市電を走っていた。
2022.03.20 05:58銀座考日本全国、銀座の名の付く所は少なくない。温泉街熱海に熱海銀座、白壁蔵の町倉吉に倉吉銀座、挙げていけばキリがない。町並みが東京銀座と似ているというより、東京でいう銀座にあたる中心街。ローカル色が色濃くにじみ、それぞれの繁栄の歴史や「かたち」を物語る。私が函館に来た10年ほど前は、市内に「銀座」の名の付いた所は2つあった。
2022.03.19 00:53電柱が先か、スナックが先か場所は函館、大門の外れ。大門グリーンプラザの若松広路側の突き当たりから函館駅方面に1筋行った角のすぐ近く。10年以上前の冬のことだが、この風景に遭遇し、しばし悩んだ。今もスナックが営業していたならば、電柱のせいで、客はずいぶん入りにくかろう。はたして、スナックが現役のころこの電柱はすでにあったか、なかったか。いくら何でも、店の入口の前に電柱は建てまい。ならば電柱の出現は、スナックが営業を始める前か、やめた後。仮に、営業を始める前だとしよう。電柱が前をふさぐような位置に入口を設けるはずもない。となると、電柱はスナックが営業をやめてから、と考えるのが妥当のようだが、この風景に遭遇したころ、よそ者の私はすでに、往年の大門の繁栄神話を聞いていた。あたり一帯、飲...