電停を撮る。日常の記録

星野勲さんによる平成函館の写真集を編集しながら、

つくづく、当たり前の風景を撮っておく、ということの貴重さを感じた。


そう感じさせた1つが、平成16年7月に撮られた函館駅前電停。


それは、私のまったく知らない、2代前の電停だった。

平成20年から函館通いを始めた私としては、

そのころ現役だった先代の電停が、いわば「昔の電停」なのだが、

わずかその4年前は、「もっと昔の電停」だったということになる。


私の思い出の中には出てくるはずもないが、

そのころいた市民にとっては、

 

ここで毎日市電を待って学校に通った、とか

ここで当時の彼女と口論になった、とか

亡くなったおばあちゃんの手を引き電車に乗った、とか

さまざまな舞台になっていたはずだ。


中にはイヤな思い出もあるかもしれないが、

「お蔵入り」しそうな貴重な思いが、漠然とした記憶よりも、きっとリアルに甦る。


歴史が事件の記録であるという裏返しとして、当たり前は歴史に残らない。

人の記憶には残るだろうが、記憶は薄れ、記憶を秘めた肉体もいずれ滅びる。

末長く伝えるには、言葉と写真、映像に頼るしかない。


そんなわけで、函館駅前電停の当たり前を撮ってみた。

時期としては、電停背後の旧棒二森屋アネックスが閉館して2カ月後である。


電停そのものの形や色とともに、

この時期の周辺のたたずまい、このころの服装、このころの車…

平凡な写真だが、わずかながらも「あのころ、こんなだったか」を残せるならば。


平成函館忘れない

短いようで長かった平成時代。その間の函館の出来事を振り返ります。新函館ライブラリの函館本とも連動しています