2022.03.23 09:24平成の行方星野勲さんの新刊『平成函館忘れない』に大きく使用した1カット。平成13(2001)年のベイエリア、函館西波止場裏の風景である。片や下の写真は令和4(2022)年3月11日に私が撮った。20年も経てば当然、景色はゴロッと変わる。
2022.03.19 06:59この本に載せた、唯一の昭和函館の繁栄の基礎を築いた、淡路島出身の高田屋嘉兵衛。地元淡路島でも、当然、郷土の生んだ偉人として尊敬の眼差しを注がれ続けていることと思う。実際に昭和60(1985)年、大鳴門橋が完成したことを機に、嘉兵衛の持ち船だった辰悦丸を復元するという偉業を、淡路島の造船所が自費で成し遂げた。そして翌年、江差からの呼びかけが発端となり、何とも粋な取り組みが実現される運びとなった。昭和の辰悦丸が、北前船ゆかりの港を結ぶ航海に乗り出したのだ。淡路島の津名港を発ち、北前船時代の港だった18港に寄港して江差に無事到着した辰悦丸はその後、函館に入港する。星野さんの写真には、その様子をとらえたカットもあるが、一昨年に制作した星野さんの写真集『あのころの函館を旅する 昭和40年...
2022.03.19 03:58デジカメその後も、写真の変化コニカ、ミノルタというカメラの老舗ブランドも今はない。両者は合併し、カメラ事業から撤退した。ペンタックスのブランドは残るが、会社としてはリコーに統合されている。いろいろ事情はあるのだろうが、フィルムからデジタルへという流れが要因となったことは間違いなかろう。デジタル時代に突入後も残ったカメラメーカーには、「稼ぎ時」が続いていた。百花繚乱のごとく送り出されるデジカメ新製品が市場を賑わせ、写真好きを増やし、メディアの注目を集めていた。あに図らんや、そこにスマートフォンが登場。あっと言う間にデジカメ市場は縮小し、経営を揺るがされるメーカもあった。それ以後も、写真を取り巻く変化はとどまらず、「自撮り棒」なるものが登場した。インバウンド全盛期には、どっちを向いて...
2022.03.19 02:21サバイバルゲームの意外な勝者懐かしい西武デパート函館店。その前を、ガス会社回りの市電が走っているのも懐かしい。市電のフロントグラスの下には、残念ながら、これも懐かしい存在となってしまった棒二森屋の店名広告。しかしこの中に、少なくとも1つ今も現役で活躍中のものが写っている。
2022.03.18 23:55大門の裾野北洋漁業や青函連絡船で栄えた時代に、函館の一大繁華街、歓楽街として名を轟かせた「大門」。その人出の凄さもさることながら、裾野も広く長かったようだ。今の大門は、函館駅前から松風町への市電通りの両側、といったあたりだが、当時は、南は函館市役所の手前あたりから北は若松広路まで所狭しと飲み屋、商店がひしめき合っていたという。星野さんの写真には、平成8年に、若松広路の高砂通り角から、JR北海道の函館支社のある方面を撮ったものがあるが、若松広路の大門側の歩道沿いは飲み屋の建物が途切れることなく並んでいる。
2022.03.18 02:26世紀末にやってきた、写真の未曾有の転換点わが国全体にとって、バブル経済の沸騰から崩壊、函館にとっても、北洋漁業の終焉や、連絡船の時代から飛行機の時代へとシフトした昭和と平成の境目あたりが大きな転換点となったようだが、写真の世界では、ミレニアムとその翌年の20世紀から21世紀へと移るあたりが、未曾有の転換点となったと言えそうだ。デジタルカメラが出現し、長らく写真の世界を支えてきた銀塩時代が、最初は緩やかに、やがて急速にフェードアウトへと向かう。星野勲さんの『平成函館忘れない』の序文には、そのころのことが書かれている。一部を紹介すると次の通り。 平成12(2000)年、市民会館へ成人式のスナップを撮りに行った時のことである。新成人から、「おじさん、シャッターを切って」と言われ渡されたカメラは、何...
2022.03.17 12:23棒二森屋、大浅草まつりの思い出デパートの催事で、全国的に大人気は「北海道展」。これはもちろん、北海道を除く、ではあるが、なら北海道のデパートはで何が人気か、というと、「京都展」がまず浮かぶ。そして函館の老舗デパート棒二森屋では、「大浅草まつり」が大人気で、第30回を数えた平成16年6月には、特別企画が催された。
2022.03.17 08:12大門からでも、どつくのクレーンはよく見えた平成21(2009)年に惜しまれつつ姿を消した函館どつくのゴライアスクレーン。長らく北海道の海の玄関、函館のシンボル的存在であり、連絡船の時代には、これが見えると函館に帰り着いたと実感した。函館っ子には、言わずもがなかもしれないが、函館旧市街の西端にあるこの巨大クレーンは、大門からでもよく見えた。写真は、これも今はなき、棒二森屋アネックスから撮ったゴライアスクレーンの解体風景。何もかもが懐かしい。写真は、星野勲著『平成函館忘れない』より
2022.03.17 07:57昔のタワー、覚えてますか?今の五稜郭タワーは2代目だ。初代タワーは昭和39(1964)年10月の開業。2代目タワーに引き継がれたのは、平成18(2006)年のことだった。2階建てとなった2代目タワーの展望台は、上が地上90メートルで、下は地上86メートル。初代タワーの展望台は、1階建てで地上45メートルだったから、一気に視点が2倍も高くなったことになる。
2022.03.16 08:38鮮やかで苛烈な、時代の境目星野勲さんの写真集『平成函館忘れない』発刊にあたって昭和が終わり、平成へ。ちょうどこのタイミングで、日本経済はバブルに突入。未曾有の好景気に酔いしれる中、民営化により上場されるやウナギ上りに高騰したNTT株に触発され、それまで投資とは縁のなかった庶民、若者株式市場に色めき立った。若いサラリーマンまでが、ダブルのソフトスーツに身を包み、仕事が終わればディスコに直行。おじさんたちは、おじさんたちで、カローラからマークIIに、クラウンやセドリックからセルシオやシーマに、乗り換えるのがステイタス。一方、北洋漁業や、北海道の玄関として栄えた函館は、昭和の終わるほぼ直前に、その両翼をむしられた。しかし、当時の写真を見返すと、人々は元気に満ち、そんな暗さは感じない。...