銀座考

日本全国、銀座の名の付く所は少なくない。

温泉街熱海に熱海銀座、白壁蔵の町倉吉に倉吉銀座、

挙げていけばキリがない。


町並みが東京銀座と似ているというより、

東京でいう銀座にあたる中心街。

ローカル色が色濃くにじみ、

それぞれの繁栄の歴史や「かたち」を物語る。


私が函館に来た10年ほど前は、

市内に「銀座」の名の付いた所は2つあった。

1つは、大門のはずれの「函館銀座」。

「雑居ビル」ならぬ「雑居アパート」みたいな木造。

大門賑やかなりしころ、そこに飲み屋がひしめいていた名残である。

「銀座」の名前は、失礼ながらさしずめ「東京銀座にあやかった夜の店」。

銀座とは、似ざるで非なる、といったあたりか。


見たところ全店撤退と思われたが、夜中に明かりが灯り驚いた。

ある人から、そんな写真は撮らない方がいいと言われたが、

建物も解体されて今はないので、まあいいか。


もう1つは、十字街の電停から南南東に延びる「銀座通り」。

モダンな洋風耐火建築の並ぶ通りで、

大正時代に形成された、流行の先端を行くカフェ街だった。

当時の函館は、札幌や仙台よりも大きい、北日本一の大都会。

賑わいも洒落たセンスも、東京銀座に匹敵するほどだったという。

今もなお、その面影を留めている。


令和の今、地方の町からローカル色は薄まって、

「頑張って都会を真似よう」の感、なきにしもあらず。

平成函館忘れない

短いようで長かった平成時代。その間の函館の出来事を振り返ります。新函館ライブラリの函館本とも連動しています